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令和元年7月
胎内市有形文化財指定を受けました
境内の本堂・庫裡・経蔵・土蔵・山門・総門の六ケ所が
新潟県胎内市の有形文化財指定を受けました。各建造物の歴史や見どころをご紹介しております。
《 建物配置図 》
※各エリアをクリックすると
その紹介に飛びます。
総 門
そうもん
指定文化財この総門は嘉永5年(1852年)の建立とされていますが、言い伝えでは原形はそれよりも古く江戸時代初期に建ったといわれており、
度々の改修を受けて今日に至っています。
総門に掲げてある扁額「無漏臺」の金箔に輝く三文字は、金沢の大乗寺住職 愚禅に揮毫(きごう:毛筆で文字を書くこと)いただいたものと伝えられています。
雨ふらばふれ風吹かば吹け
一休禅師
仏教用語で「漏」とは煩悩・迷いのことです。煩悩の多い現世が有漏路、迷いのない仏の世界が無漏路を指します。
有漏の世界に生きる私たちは、この門をくぐることで迷いの無い仏の玉座へと導かれます。
建築年代:嘉永5年(1852年)
総門左側には大きな石のお地蔵様が立っています。
一見ただのお地蔵様ですが
大輪寺の二十三世 出岸一舟大和尚の
舎利塔でもあります。
山 門
さんもん
指定文化財総門を通り抜け参道を進むと山門・鐘楼堂があります。
この山門は文久3年(1863年)の建立で、けやきの四本柱に支えられ、周囲に彫刻も施された立派な外観で大輪寺を代表する建物です。
鐘楼の鐘は重さが三百貫(約1,125キログラム)あり、人間国宝である故香取正彦氏の作です。
以前の鐘は戦時に供出され、昭和38年に復興されました。
建築年代:文久3年(1863年)
四天王が各柱を力強く支えています。
(クリックタップすると拡大します)
山門前には水場がございます。
(令和元年 改修)
本 堂
ほんどう
指定文化財大輪寺の本堂は天保九年(1838年)に火災消失しており、その時、寺の古文書等の記録のほとんどを失いました。
その後に再建された本堂も戊辰の役で戦場となり、またも火災を被むっています。現在の本堂は明治16年に建立され今日に至ります。
建築年代:江戸末期(昭和37年屋根改修)
土 蔵
どぞう
指定文化財かつては貴重な物などを収納する土蔵として使われていました。
外壁下部はなまこ壁になっています。二階窓の霧除けには鶴と亀の鏝絵(こてえ)が施されており、意匠の凝った土蔵です。
建築年代:昭和3年
庫 裡
くり
指定文化財庫裡は大正6年の建立です。当時全国的に米騒動が興り物価が急騰して、辛苦の末、完成しました。
僧侶の日常生活や、催事の食事などを用意する台所・炊事場が配置されています。
建築年代:大正6年
現在はスロープを配備し
バリアフリーになっております
経 蔵
きょうぞう
指定文化財当初は観音堂として建てられましたが、現在は什器物の保管場所になっています。
海老虹梁(えびこうりょう)の下段にはブドウとリスの彫刻が施されています。
建築年代:不詳
稲荷堂
いなりどう
総門右側にあるのが稲荷堂です。
大輪寺の稲荷堂では、毎年3月上旬に初午祭、7月10日は恒例祭が行われています。
稲荷は本来、農耕神で五穀をはじめとして全ての食物や養蚕を司る神で、起源は古く、日本人が田畑を耕作しはじめた時代にまでさかのぼります。
曹洞宗の寺院が茶枳尼天(だきにてん)をまつるのは、宗祖道元禅師が旅の帰国の途中、病気になられ、その時白い狐に乗った茶枳尼天が日本稲荷に姿を化えて病気をなおしたといわれ、以来、護法の神としてまつるようになったとされます。
永代供養墓
えいたいくようぼ
大輪寺の総門の右に、平成十五年秋、永代供養合葬墓を建立いたしました。中心に十一面観音様、左右に六地蔵様が配置されています。
以前からお寺には諸事情でお預かりしているお遺骨が多くあり、永代供養塔の完成により、これらのお遺骨を納骨する事が出来ました。
大輪寺の永代供養墓は、左右の六地蔵様の台座下に骨壺のまま納骨しており、中央の観音様の台座下にも合祀収蔵しております。これらの永代供養墓の背後には墓誌を設置し、戒名のプレートを張り付け墓碑銘を確認頂く事が出来ます。
永代供養墓に納骨された方々のご供養は祥月命日、月命日、お盆や春秋のお彼岸に回向させていただいております。
大輪寺では檀信徒様とのご縁を大切にし、皆様の信仰の拠り所として、永代にわたる供養を行います。
建築年代:平成15年